心霊現象に動じず、夢診断もする蘭丸

堺に妙国寺という寺には巨大なソテツの木があった。

織田信長の命令により、このソテツを安土城の庭に移植したところ、信長は庭の方から「妙国寺へ帰ろう。妙国寺へ帰ろう。」と奇怪な声がするのを夜な夜な聴いた。

蘭丸が、その声の正体を突き止めるようと庭先に下りて行くと、声の主はソテツだった。

蘭丸が「今の声はソテツから出ていました。」と報告すると、信長は爆笑した。

その晩、蘭丸はソテツを見張るために次の間で宿直した。

翌日、信長が大勢の家臣に斧を持たせてこのソテツを切らせると、切り口から真っ赤な血が流れ落ち、切った家臣も卒倒しているではないか。

結局、そのソテツは元の妙国寺に戻された

※現在、妙国寺のソテツは国指定天然記念物。

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ある晩、信長が、馬の腹や胸をネズミが食いちぎる夢を見た。蘭丸に夢の吉凶を尋ねたところ、乱丸は「それは吉夢です」と答えた。

その後、蘭丸は密かにある人に会い「これは一大事だ。殿の生まれの干支は午年、明智は子年であるから、あの夢は殿が光秀のせいで切腹するという凶兆だ。この夢が10日前であったなら事前に光秀を討てたものを、西国攻めのために丹波へ下ってしまったので、今やどうすることもできない。」と言いながら涙を流した。

これを聞いて皆笑っていたが、本能寺の変が起きてから乱丸の予言が正しかったことがわかり、誰もが恐れ入った。


森蘭丸の生涯

森欄丸(もり らんまる)は、永禄8(1565)年、尾張国葉栗郡蓮台の丑年生まれ。美濃の豪族で織田信長の家臣・森可成(もり よしなり)の三男である。森氏は源義隆を祖とする。 実名(諱)は「森成利」で、現在では「森蘭丸」と記されることが多いが、実際に使っていた名前は「森乱丸」である可能性が高い。