主従を超えた関係2 信長への思いやり

ある時、信長が「障子を開けたまま来たから閉めてこい」おっしゃった。

蘭丸が行ってみたら、障子はきちんと閉まっていた。

蘭丸は障子をわざと開けて音を立てて閉めた。

信長が戻ってきた乱丸に「開いていただろう。」と聞くと、「閉まっていまいした。」と乱丸は答えた。

「では、なぜ閉めた音がしたのだ。」と信長が聞くと、

「仮にも上様が開けてきたとおっしゃったのに、閉まっていたというのでは上様がおっちょこちょいだと思われる。だからわざと閉めた音を立てて皆に聞かせたのです。」

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ある僧が信長に大量のミカンを献上した。

乱丸がそのミカンを山盛りにした器を運ぼうとした時、信長が「おまえの力では無理だ。倒れるぞ。」と言った。

案の定、乱丸は台もろともひっくり返り、座敷にミカンをぶちまけてしまう。

「それ見ろ。わしの言ったとおりではないか。」と信長の一言。

後日ある人がその話を持ち出すと、蘭丸は「あの時、私が転ばなければ、上様の目利き違いになってしまうのでわざと転んだのだ。」と言った。

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信長が休憩のために農家に入った時、地震が起こったので家臣たちが大騒ぎをした。

皆は、すぐに上様にお知らせして避難させなければと考えたが、蘭丸は動かなかった。

やがて信長が出てきたときに「さきほど地震がございました。」と報告。

信長が「なぜその時に言わぬ?」と尋ねると、

「あなたは今、天下に大地震を起こしている方です。あんな小さな地震はご報告するまでもないと思いました。」

信長は爆笑した。


森蘭丸の生涯

森欄丸(もり らんまる)は、永禄8(1565)年、尾張国葉栗郡蓮台の丑年生まれ。美濃の豪族で織田信長の家臣・森可成(もり よしなり)の三男である。森氏は源義隆を祖とする。 実名(諱)は「森成利」で、現在では「森蘭丸」と記されることが多いが、実際に使っていた名前は「森乱丸」である可能性が高い。